◎自分を知ることが「成熟する」ということ
勝 対馬先生のGirl Powerでの講座と、女性ホルモン塾を受講させていただきました。ありがとうございます。女性は、想像以上に女性ホルモンに守られているだと知って驚きました。
対馬 女性ホルモンは、私たちの命を守り、お産で死なないよう生きていけるように守ってくれているものだから、ありのままに受け入れていけばいいんです。
月経と長年つきあっているのにネガティブなものとなったり、我慢して当たり前と思っていますが、女性ホルモンの知識を得て、どのように身体とつきあって、どのようにプランニングしていけばいいか、その材料にしてほしいと思います。
自分で自分を知ることが大人になっていく、「成熟」することでもありますし、性機能そしてセクシャルヘルスの発達だと思います。
勝 日本は欧米と比べると「成熟」に向けての教育がなされていませんよね。
対馬 女子は少し幼稚で何も知らないのが「カワイイ」という意識があり、それは男性から見た「都合のいい女性」であります。でも、そのため性暴力を受けたり、望まない妊娠、悲しい中絶にもつながっています。自分にとってイヤなことはイヤといえる、パワフルで生き生きした人生を送れるように、女性ホルモンの知識を広めていきたいと思って取り組んでいます。
勝 女性としてのはじまり、根本的なものを理解することで、女性らしく一歩を踏み出すことができるはずなのに、その知識を与えられてこなかった、そこが欧米、北欧と比べると日本は遅れているように感じられます。
対馬 どこの国も取り組んできましたし、言ってはいけない・タブー視されていたところを、女性たちが1960年代から伝えてきました。先進国であれば、ダイバーシティの中でも男女の性差だけでなく人種も年齢も障がいのある人への取り組みも行っています。
ところが日本では、女性が男性と同じでなければならないと思い込まされていて、それぞれが個性であり真実であるという ありのままの姿を見ない、あるいは隠してきたという面があります。
勝 アメリカでの60年代からの取り組みに、対馬先生も影響を受けていらっしゃいますか。
対馬 1959年に出版された、ボストンの女性グループによる『Our Bodies,Our Selves』という本があります。医学者や医療従事者ではない彼女たちが、自分たちの身体は自分たちで知ろうという活動を始めて、出版されると大ベストセラーになり世界中で翻訳され、今も改訂を重ねて出版されています。
また、私の学生時代には、女性の産婦人科医が翻訳した『Woman』という書籍もありました。この本を読んで衝撃を受け、自分のフィールドにすると決めたのが1980年代の初頭でした。
◎女性医療は「ビキニ医療」だった
対馬 医者になって、『Our Bodies,Our Selves』『Woman』 の意識をもって実行しようと向きあいましたが、医学界は男社会だったんですね。いわば産婦人科って、男が考えた男が行う女性医療。そのため医師たちは、お産と手術しか興味を持っていないと感じられました。当事者目線がありませんでした。
勝 女性が妊娠で身体がどのように変化し、出産があるかという視点ではなかったわけですか。
対馬 安全にお産を行う、出産時の死亡率を下げる。また、子宮ガンや卵巣ガンを検診で見つける予防の視点ではなく、ガンの手術をいかに行うかが外科医としての産婦人科医の真骨頂といった面がありました。
勝 昔の女性医療は、対馬先生がセミナーでご説明くださった「ビキニ医療」ですね。
対馬 そうです。乳房と子宮。つまり、ビキニを着たときに隠れる部分だけが男性と違うため、80年代まではそれが女性医療だったわけです。
90年代になってから、ビキニ医療だけが女性医療ではないとされ、女性はすべてのファンクションにおいて、すべての疾患特性において、生活のニーズや性暴力を受けやすいといった面や、教育格差や経済格差によって医療にアクセスしづらいといったことなども含めて健康医療と認識されました。それを「性差医療」と呼ばれますが、そこから、あらゆる性差について検証し研究し、それらはデータ化されました。
勝 フィンランドでは「ネウボラ」という、子どもが生まれると行政担当者が家庭を訪問し、子どもの就学前まで母子を支援するという制度がありますよね。日本も保健婦さんの訪問がありますが、継続的ではないと感じます。子どもが小学校に入るくらいまでは第三者にトータルで相談できアドバイスを受けられるシステムがあれば、母親はどんなに助けられるかと思います。
対馬 日本では、子育てだけを支援するため、妊娠中の母親は「子どもの入れモノ」で、出産したら子どもの「養育者」です。女性にも自分の人生と身体があるのですが。
北欧では、子育ては、個人・男女の別ではなく社会の中で行い、皆で地域や環境について考えるといった時代に入っています。
日本はこれからようやく始まろうとしています。約40年遅れていますよね。
勝 日本ではなぜ女性があまり大事にされてこなかったのでしょう。
対馬 日本人は、そういうニーズがあると女性の側が発言できませんでした。日常の中で困ったことがある、こんな場面で嫌な目にあった、恥ずかしいできごとがあると言葉にすることが許されない雰囲気があり、それは現在でも続いていて、日本は「先進国」と呼ばれているわりには、家庭内暴力や性暴力があり、女性がまだまだ酷い状況に置かれていると諸外国から思われています。
勝 日本の国会議員に女性の数が少ないというのは象徴的だと感じますが、先進国のわりには女性リーダーが少ない。そこも『Our Bodies,Our Selves』に繋がりますよね。
◎母親が知らないため娘に伝えることができない
対馬 日本では、自分の身体について語るのは恥ずかしい、言ってはいけないことと思っているため、生理痛も更年期も我慢してしまいます。がんばってもできないのは私が悪い、努力が足らないと思っています。私が2002年に開業した当時の女性が訴えてきた内容と今現在の訴えはまったく変わりません。さらに酷いのは、彼女の娘、孫の世代も知らない。昔よりももっと知らない。
勝 母親たちが知らないから娘に伝えることができないというのは、Girl Powerがインドの少女たちへの衛生教育と布パッド提供を行っている「Happy Pad Project」と同じ構図です。
日本でもインドでも、スマホは多くの少年少女が持っていますので、今の若い方は情報を得ることは簡単にできるはずなのに不思議ですね。
対馬 インターネットの中に情報があっても、情報リテラシーがないと、どの情報が正しくて、どの情報を自分に活かせるのかわかりませんし、選択と実践の時にアドバイスをしてくれる人がいない。母親も祖母もアドバイスできないんです。
勝 私も、自分の更年期症状は自然に消えていくのを待っていればいい、我慢していればいいという価値観があり、漢方薬を飲む以上の治療をしていませんでした。担当医から「別の治療もありますよ」と勧められたにもかかわらず選択しておらず、対馬先生の講座をお聞きして自分自身が囚われていた価値観にようやく気づくことができました。パッチを貼ることを始めてから劇的に症状が緩和しました。
対馬 選択肢があること、アドバイスできると伝える人が今までいなかったからですよね。
勝 出産にかんしても、自然分娩がいい、母乳がいいという、まるで信仰のようなものがありますよね。
対馬 お産だって、どんな風に妊娠し出産するのか、誰と一緒にどのように子育てしていくのか、それは女性が決めることができる権利です。それが、日本では、妊娠に気づくと、自分の身体の変化より、相手やまわりの人が妊娠をどう思うかを優先しがちです。
「対馬ルリ子女性ライフクリニック銀座」での事例ですが、ある社会的地位の高い人のお嬢様が診察を受け、無痛分娩を希望したので準備を整えていました。ところが途中で彼女のお母様が割って入り、「計画分娩は許さない」と言います。産むのはお母様ではなくご本人ですし、出産の場面に彼女の母親は立ち会わないというのに、母親が無痛分娩を許さないためお嬢様は自然分娩をするしかありませんでした。
勝 それぞれの母親からだけでなく、先輩女性たちからも「こうすべき」みたいなプレッシャーを受けてきましたよね。それは日本だけでしょうか。
対馬 昔の「3歳児神話」はフランスが発祥ですし、ラマーズ法のような自然分娩もフランス由来です。でも、今のフランスでは100%無痛分娩です。それは女性の権利として苦痛なく出産できる方法を選ぶことができるものです。
子育てでも、パートナーも育児に参加し、赤ちゃんのオムツ換え、入浴など、ママがいなくてもパパだけでも赤ちゃんと過ごすことができるよう2週間のレクチャーが提供されています。
勝 フランスでは3歳から保育園が無償ですし、0歳から2歳までも自宅保育ではなく保育園に行くことがふつうですよね。
対馬 自分たちが産みやすいよう、育てやすいようにと、フランスでは彼女たち当事者が制度を作ってきたからできることなんですよね。日本でも、女性はもっと言葉にしていいと思うんですよね。「私は痛いのはイヤだ」、「私は自分で決めたい」ということを言ってもいい。
勝 子どもはせめて1歳までは母親の手で育てなければならないという価値観を、私は先輩女性たちから言われてきました。
対馬 それって、いじめの構造なんですよ。自分がいじめられた内容と同じことを伝えるのは、自分が我慢してやってきたことが正当化されないからですよね。
勝 いびつになっている構造を変えていきたい、変えていかなければなりませんよね。
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