本当の女性の自由を考える。
いつもよりテレビやネットを見る機会が多い年末、平愛梨と長友佑都の結婚会見で「平愛梨が関白宣言に憧れている」というネタで世間が騒いでいることを小耳にはさみながら、
私個人としては、「そうか幸せに頑張ってくれ」といった印象で、余り考えることもなく正月を迎えておりました。
改めて今考えてみると、なんでそんなに大騒ぎする必要があったのでしょうか。
今回の騒動で、世間の暴力的な「女性解放」論を感じ取ったので、女性の自由ってなんだろうということを、考えてみようとおもいます。
◆『関白宣言』について
今回平愛梨が結婚を受けて、目指したい結婚生活に掲げた『関白宣言』とは、
かの有名な1979年に発売されたさだまさし氏の楽曲のことです。
1991年生まれの私が知っているのですから、大ヒット曲ですね。
私が「関白宣言」を、初めて聞いたときは出だしだけだったので、なんという女性軽視ソングだと感じたのですが、その後改めて全貌を聞いたとき、単純にいい曲だなと思いました。こでは歌詞掲載を割愛しますが、いわば最強のツンデレソングなのではと思います。
確かに冒頭では妻を引っ張っていけることをアピールしようとちょっと背伸びし、女性軽視といわれてもおかしくないことを言いつつも、
プライドもそんなに高くなく、自分を過剰に大きく見せ続けることもなく、相手と、その家族まで気遣い、全部ひっくるめて一生愛しますというこの意気込み。
かっこよくないですか。
これ、今言える男性どのくらいいるのでしょうか。
これになりたいと言わせられる長友、どれだけ芯がある人間なのかと、思いますね。
◆平愛梨は時代錯誤の悪なのか
さて、本題に戻ると、平愛梨は関白宣言のような人になりたいと。
個人的にいいと思いますよ。半端な覚悟ではできない。
主婦って、どれだけ大変なのか。相手のためにというただその思いだけで、
今後一生かけて行動するのが、どれだけ大変なのか。
ちなみに主婦の家事は、無償労働の部分を給与換算すると年収1200万円を超えるとの計算がでているそうです。これを生涯もって、できるだけ夫のために尽くしたいと考える平愛梨は、すごいと思います。
私だったら好きなときに寝たいし、自分のことぐらい自分でやってくれって思っちゃいますし、自分の仕事で成功したいからむしろ支えてくれって思いますし、家事はそんなに好きじゃないからアウトソーシングできる財力を持とうと考えてます(笑)
◆「女性軽視」の問題点
女性軽視というのは、主語が自動的に男性になっていて、
男性にどの様に女性を扱われるべきか、女性はどのようにある「べき」かを定めていることが問題視されてきたと私は考えています。
勝手に世間から「女性」とカテゴライズされ、「女性はこうあるべきた」といわれていて、さらにそれが「男性」たちに都合のいいものだったのだからたまったもんじゃないですよね。この女性軽視やジェンダーギャップということに対して、世間が敏感になってきたという流れは、いい方向に向いているのかなと。
ただ、今回の平愛梨問題で、私が問題だと思うのは、「現代の女性なのに」「それは昭和の女性の考え方じゃないか」という批判があること自体だと考えています。
彼女の生き方は、彼女が決めることであり、人生をかけたいと思うパートナーに巡り合えた彼女がその人を支えたいと考えることは、悪いことではない。
周りが結婚し始めて、感じる必要のない焦りをなぜか感じる自分としては、心のどこかで
うらやましいと思っていることも事実です。
私が考える、今回の騒動の問題は、平愛梨「自身」からの「関白宣言」に対して、理解ができないと言っている世間一般の方々にあるのではないでしょうか。
女性解放を訴えながら、逆に「女性とは」というメッセージを自分から作り出しているのではないでしょうか。
もし仮に、「関白宣言」を長友が言っていたら、これは問題視すべきだと思います。
世の男性方、平愛梨が言っていたからと、調子にのって「女性は家庭にいろ」とか考えたら、イケてないですよ。気をつけてくださいね。
起業したい、プロ彼女になりたい、専業主婦になりたい、世界で活躍したい。
それぞれが本当に望んだ生き方を目指していくことができる時代が、本当の女性解放と、私は考えています。
望んだ人生がどうであれ、応援される時代が来るように頑張りたいと思う2017年1月です。