「女子アナ」は差別的な呼称なのか?
女性アナウンサーと話をしていてよく聞くのが「女子アナという呼び方は差別的だ」という意見だ。「だって男子アナとは言わないでしょう?」ということで、たしかに男子アナという言葉は日本語にはない。つまり、アナウンサーという職業も男性がスタンダードであって、だから女性は特別に「女子」という「ことわり」がつくというわけだ。
この意見には一理ある。世の中には男性が中心でスタンダードなので、女性には特別に「女性」であることを付け加える表現というものが女子アナ以外にも多数ある。女性の医者は女医だし、女性のプロレスラーも女子プロレスラーだ。サッカーも女性がやると女子サッカーになる。
女性の経営者も女性経営者と称されることが多いし、世界には女性の大統領も増えてきているが、こちらも女性大統領と言われることもまだまだ多いと思う。
「女性」とか「女子」という言葉は頭にくっつくだけではない。女性のトラック運転手は女子トラック運転手ではなくトラック女子だ。しかし、タクシー運転手はタクシー女子ではなく単に女性運転手だろう。言葉というものは不思議でおもしろいが、とまれ、なにか職業に「女子」や「女性」がくっつくと、なにやら特別扱いしているようなニュアンスになり、差別的と捉えられることも多い。
しかし、体操には女子体操はあるが、男子体操という種目もある。フィギアスケートもそうで、女子フィギアと男子フィギアがある。ゴルフも男子ツアーと女子ツアーという言い方をする。このような場合は「女子なんちゃら」と言っても差別的なニュアンスにはならない。しかし、なぜ男子野球や男子サッカーがないのに、男子体操やゴルフの男子ツアーがあるのか?
野球やサッカー、ラグビーなどはもともと男性だけがやっていたもので、女性が後から入ってきたからという説明は成り立たない。ゴルフはそもそも男の世界だったし、格闘技は基本的に男性のものだったはずだが、男子柔道・女子柔道があるし、レスリングも男子レスリングと女子レスリングがある。しかし、ボクシングでは男子ボクシングというものはない。空手も同様だ。もちろん、男子個人や男子団体という部門はあるが、男子柔道ほど男子空手や男子ボクシングはしっくりはこない。空手やボクシングなどの打撃系格闘技は、あまり女の子がやるものではないという暗黙の心理的バイアスが働くのだろうか?
というわけで、「女子」とか「女性」がつく場合、つかない場合に関して、なにか文法的な法則性を見いだそうとしたが、どうやら無駄なようだ。これはかなり恣意的なものなのかもしれない。
女子アナと女性アナウンサーは別ジャンル
さて、女子アナである。このジャンルでは明確に「男子アナ」という呼称は成立しない。しかし、では女子アナとは女性のアナウンサーのことかというと、ちょっと違う気がする。
たとえば、加藤綾子や田中みな実、水卜麻美などは明確に女子アナと呼べるが、では彼女たちを「女性アナウンサー」と呼ぶとしたら? どこか違和感を感じないだろうか?
逆に、たとえば松尾由美子さんは女子アナというより女性アナウンサーと呼んだ方がしっくりこないだろうか? 「年齢的なものか?」、つまり若い頃は女子アナでベテランの域に入ってくると女性アナウンサーなのではと思うかもしれないが、しかし、たとえばカトパンや田中みな実と同世代の小川彩佳アナなどは、女子アナというより女性アナウンサーという方が似合っているように思える。宇賀なつみアナも同様だ。
「アナウンサーとしての実力があるのが女性アナウンサーで、無いのが女子アナ」という区分けもできない。実力面でも高い評価を得ている高島彩はまさにスーパー女子アナだった。もちろん(誰とは言わないが)ニュースも読めない女子アナという人たちもいる。つまり、女子アナかどうかは実力とは関係が無いということだ。
そう考えると、女子アナというものは、女性アナウンサーとはまったく違う別ジャンルの人たちのことに思えてくる。簡単に言えば、アイドル性があるかどうかだ。アイドル性があれば女子アナ。そうでなければ女性アナウンサーというわけだ。
女子アナは進化形とはなにか?
女子アナという言葉は昔からあったとは思うが、今のような「女子アナ」というものが生まれたのは、フジテレビが「オレたちひょうきん族」で局アナを「ひょうきんアナ」として起用したあたりからだと思う。
ひょうきんアナが人気になってから、フジテレビは女性アナウンサーのアイドル化を一気に進めるが、これに対抗して、日本テレビが永井美奈子、薮本雅子、米森麻美の三人の局アナからなるアイドル・ユニット「DORA」を結成する。このあたりから、テレビ各局の女子アナ・アイドル競争が激化していく。今から30年くらい前の話だ。
そして、このアイドル化競争の中で、世間では女子アナとは「カワイイけど漢字が読めない、ニュースも読めない」というイメージも定着していく。女性アナウンサーの中に、女子アナという言葉に侮蔑的なニュアンスを感じるのも当然ではあるのだ。
しかし、アイドルの世界にも変遷があったように、女子アナの世界も変遷している。
アイドルというものは、昔は「カワイイ。けど、歌が下手」というものだった。もちろん、踊れない。それが、松田聖子、中森明菜が登場して「アイドルなのに歌唱力がある」人たちが登場し、アイドルのレベルがどんどん上がっていった。その頂点が安室奈美恵とSPEEDだった。歌がうまい、ダンスもうまい、カワイイと三拍子揃ったアイドルの登場だった。
しかし、SPEEDも安室奈美恵も、あまりにレベルが高くなりすぎて男のたちがついて行けなくなっていた。そこで登場したのが「ついて行けるアイドル」としてのモーニング娘。である。ただ、しかし、歴史等位ものは常にスパイラル状に上昇する。モーニング娘。も、70年代アイドルのように「カワイイけど歌が下手」なだけのアイドルではなかった。70年代的な「お人形さん」ではなく、意思を持った女の子としてのキャラクターを備えたアイドルだった。たぶん、日本のアイドル史において明確にキャラクター勝負に出たアイドルはモーニング娘。が最初ではないか?
それは、モーニング娘。の発展ケイトも言えるAKB48において、指原莉乃が総選挙二連覇を果たしている事実にもつながる。指原人気は、その歌でもなく、ルックスでもなく、そのキャラクターにあるはずだ。
このアイドルの歴史的発展になぞらえれば、高島彩は松田聖子だし、水卜麻美は指原莉乃であると言える。ということは、次なる女子アナの進化形とは、AKB48の進化形とも言える欅坂46的な女子アナなのかもしれない。
アイドルなのに笑わない。そして、強いメッセージ性を持つ。そんな衝撃的なデビューを飾った欅坂46だが、女子アナもまたアイドル的な進化を遂げるとすれば、近い将来、強いメッセージ性を持った女子アナというものが登場するのかもしれない。というか、個人的には登場して欲しいと思う。アナウンサーの頂点がキャスターというポジションだとすれば、なんらかのメッセージ性がアナウンサーにも必要だろう。
もちろん、これまでにもメッセージ性を持った女性キャスターはいた。しかし、彼女たちは芸能界で言えば、最初から実力派。演歌の大御所みたいなものだった。そうではなくて、アイドルの松田聖子が紅白歌合戦のトリを務めるように、報道番組のメイン・キャスターを務められる女子アナが登場して欲しいと思う。プロ野球選手と結婚したり、芸能人みたいになりたいから女子アナを目指すのではなく、世の中に伝えたいメッセージがあるから女子アナを目指す。そんな女子が増えれば、日本の女子のレベルもまたワンランク、アップするのだと思う。