「歌手にだけはなってはいけないよ」幼い頃から、周りの大人たちから言い聞かせ続けられてきた神田沙也加さん
神田沙也加さんと村田充さんのご結婚をめぐる、松田聖子さんの公的なご対応により、にわかに松田聖子さん・神田沙也加さん母娘の関係が注目を浴びています。
沙也加さんは、子どもの頃、ご本人は記憶されていないそうですが、おばあさまのお話によると、幼い頃におもちゃのマイクを持ってステージごっこをよくやっていたそう。歌うことが好きな子どもの他愛もない遊び、と映るはずの光景でしょう――ただ、彼女は「歌手・松田聖子の娘」として生まれた女の子でした。
それを見て、周りの大人は私が歌手になりたいと思っていたようで、「あなたは歌手にだけはなってはいけない」と言われ続けてきたんです。母親があまりにも偉大だな存在だから、同じ道を選んでも比較されて辛い思いをするだろうって。ことあるごとにそれを聞かされて育ってきたので、私の中では「歌手=タブー」の図式ができ上がっていました。そんな背景があったので、15歳で歌手デビューが決まったときも、うれしいよりも「本当にいいの?」っていう思いのほうが強かった。不安しかなかった。というのがその頃の正直な気持ちです。
沙也加さんは、ご自身のスタイルブック「Dollygirl」(宝島社)にて、そのように回想されています。
もし沙也加さんが子どもの頃に歌手になりたかったとして、聖子さんがどのようにお考えになられたか、それは所詮たらればの話なのでわかりません。
また沙也加さんは、実のところ、アニメやゲームが好きだったからか、むしろ声優になりたかったといいます。22~23歳の頃には声優の学校にまで通われています。
「○○してはいけない」――幼い頃に刷り込まれた「禁止令」には、一生人生を支配されることも
このエピソードで、私が着目したいのは、実際のところ、当人(子ども。娘である神田沙也加さん)の意志がどう育つかなどを見守る前に、大人が先まわりして、偉大な歌手である母・聖子さんと、むしろ周りの大人がこの幼い時点で比較し、目を摘もうとしたことにあります。
「○○してはいけない」――幼い頃から刷り込まれていく命令(「禁止令」と心理学用語では呼びます)の影響は甚大で、それは15歳の沙也加さんが歌手デビューを、自分に許されるものとして受け止めるのが困難であったように、長く人の人生を支配します。
幼い頃に刷り込まれた「禁止令」から逃れるのは、相当困難なことで、一生その人の人生に付きまとうことも、決して少なくありません。
「心配」を傘に着て行われる社会による呪いの強化
私、麻生マリ子は、池内ひろ美(Girl Power代表理事、夫婦・家族問題コンサルタント)とともに「母の呪い」という問題提起を行っていますが、麻生は、これを(実在したかどうかすらわからない)「母の呪い」を「社会」が強化した事例、と考えます。
仮に「歌手になってはいけない」という「母の呪い」を、母・聖子さんが、娘・沙也加さんにかけていたとして、それを周りの大人が、社会が強化する必要性が、果たしてあったでしょうか。
こうした「社会による呪いの強化」は、多くは「その子を案じて」「心配」を傘に着たかたちで行われます。
たしかに松田聖子さんほどの歌手であり女性であるかたの「息子」ならばいざ知らず――息子ならば、異性ということで、当人たちも社会も「別物」として認識しやすいからです――「娘」として生まれた。たしかに生まれもって大きな十字架を背負っていたといえるかもしれません。周囲の心配も、十分に理解します。
ただ実際、沙也加さんは、ご自身で声優を夢見て学校に通われ、その後、「アナと雪の女王」のオーディションをご自身で受け、見事、皆さんご存知の「母にも(社会が強化した「呪い」にも)左右されない成功」を、自らの手で収めていらっしゃいます。
母娘、家族にしかわからないことがある
そして、2014年末の紅白歌合戦(NHK)で、アナ雪の主題歌「Let it go ありのままで」を伸びやかな歌声で披露した沙也加さん。それを見守り、涙した松田聖子さん。
その涙が、いくら「聖子ちゃん泣き」と揶揄されようとも、胸に去来していたものは、聖子さん、沙也加さん、お二人にしかわかりえません。
母娘のことは、母娘にしかわからないのです。家族には、その家族にしかわからないことがたくさんあります。それをたとえば近い親戚や知人などが、求められてもいないのに出過ぎたことを言うなど、土足で踏み込むような真似をするのは、無粋というものです。
紆余曲折があったとしても「見守る」「(本人の気付きや力を信じて)待つ」のが大人の役目ではないか、とときに感じます。
沙也加さんには、波間をもがき浮き沈みながらでも、こうして自らの手で成功や幸せを掴みとる力が十分に備わっていたのですから。
いま幸せの絶頂にいる神田沙也加さん。夫の村田充さんは、もしかすると、彼女の過去背負ってきたものを受け止め、浄化してくれた存在なのかもしれません。