「東京タラレバ娘」は「古い価値観」の呪いなのか?
日本テレビ系で放送中のドラマ「東京タラレバ娘」。アラサー女子(というか、30代前半の女子)に対して、あまりに過酷な現実を突きつけてネットでも賛否両論。特に、昨年秋シーズンに放送されてブームとなった「逃げるは恥だが役に立つ」(逃げ恥)と比較して論じるむきも多い。
その意見の多くは「逃げ恥が解いてくれた呪いを、全力でかけてくる」というものだ。ここで言うのろいとは「女は若い方が価値がある」ということと「女は結婚して幸せになれる」という呪いのことだが、その呪いをこれでもか!という勢いでかけまくるのが「東京タラレバ娘」で、その価値観は古いという指摘だ。しかし、これは実は古い価値観ではない。むしろ、一周回って「新しい」のだ。
若い人たちはご存じないようだが、日本の女性を巡る言論はむしろ真逆の呪いをかけてきた。「女性の価値に年齢は関係ない」「結婚が女性の幸せではない」という呪いで、それは少なくとも40年にわたって、さまざまな論客やメディアがかけ続けてきた呪いなのだ。
その源流は1950年代だが、日本において一般的になったのは70年代。特に、1977年に雑誌「クロワッサン」が創刊されて、一般の女性、特に意識高い系の女性に広まった。クロワッサンがかけた呪いとは簡単に言えば、「結婚を拒否して、自立して生きるのがこれからのカッコいい女性の生き方」というもので、カッコよく生きたいと思う女性はクロワッサンの呪いを信じて結婚を拒否してキャリアに生きることを選んだわけだが、結婚適齢期を過ぎ、出産適齢期を過ぎたあたりから自分の人生に不安や絶望感を感じ始めた。これを「クロワッサン症候群」という。
さらに彼女たちを追い詰めたのは、自立した女性の生き方を煽っていたクロワッサン文化人が、実は結婚して子どもを三人も産み育て、年を取ってからは離婚して年下の資産家の男性と結婚したり、クロワッサン自身が読者ターゲットを「独身のキャリア女性」から「結婚して家庭のあるキャリア女性」にシフトした。いわば、クロワッサン信者の女性たちは、年を取ってからハシゴを外されてしまったわけだ。
そのようなクロワッサン受難者の女性たちも、今では老齢の域に達し「おひとりさま」という、新たな価値観を生きている。
もちろん、彼女たちが「おひとりさま」という生き方で幸せなのであれば、それはそれで問題は無い。問題なのは、そのような生き方を、若い女子たちが素敵だともカッコいいとも思ってないことだ。ウソだと思うなら、身近な20代女子に聞いてみればよい。「結婚もせず、子供も生まず、年老いてひとりで死んでいく生き方がカッコいいか? 憧れるか?」と。おそらく大多数の女子が「NO」と答えるはずだ。
念のために言っておくが、僕はなにも「女は結婚して子どもを産め」と言いたいわけではない。繰り返すが、どのような価値観を生きようと、それは個人の自由だ。しかし、同時に若い人たちが真似しよう、憧れる、カッコいいと思うような生き方をしなくて、人生どんな意味があるのかとも思う。世間の常識や「呪い」に逆らって生きることはけっこうしんどい。それは、僕自身がそういう生き方をしてきたから分かる。
今以上に「イイ大学に行っていい会社に入るのがまっとうな人生」だと考えられていた(呪いに満ちていた)時代に、学生時代から仕事を始め、そのまま就職もせずに生きてきた。学生時代には周囲の大人から「学生だから仕事が来る。卒業したら仕事無いよ」と呪いをかけられ、20代には「40歳を超えたら仕事がなくなるよ」といわれ続け、おかげさまで40歳を超えても50歳を超えてもなんとか生き延びてこられたが、還暦を前にして大企業に就職した同世代の男どもを見ると、素直に就職した方が楽な人生を送れたのだろうなと思う。
昨今はノマドとかフリーランスな生き方とか、多様な働き方とかもてはやされているし、そのような生き方を選ぶ若者も増えているように思えるし、そのような生き方は否定はしないが「年を取ったら楽じゃないよ」ということは伝えてあげたいとは思う。
結婚も同様だ。特に女性は、結婚の呪いに抗って生きようとするのはしんどい。加えて、老齢になった時に強烈な孤独感に見舞われると思う。それは、家族がいないことの孤独感ではない。若い人たちから自分の生き方を否定されるという孤独感だ。絶望感と言ってもいい。自分が信念を持って生きてきた、その人生を若者が誰も支持しないし共感もしない。
このような社会的な孤独感、絶望感は想像以上にキツい。そのキツさに耐えられるだけの強力な精神力と信念があるかどうか、「東京タラレバ娘」を「全力で呪いをかけてくる」とディスってる女性は、そのあたりの覚悟が自分にあるのかどうか、その覚悟を死ぬまで維持できる自信があるかどうか、再考してみた方がいい。
婚活は受験や就活と同じで、戦略がなければ勝てない。
さて、なにかと対比して論じられる「逃げ恥」と「東京タラレバ娘」だが、共通項もある。それは、結婚を戦略的に考えるという点においてだ。
「逃げ恥」は原作者の海野つなみ氏が自信で語っているように「仕事としての結婚」がテーマの物語だ。「東京タラレバ娘」は、結婚に対して何の戦略性もない生き方をしてきた女子が、30歳を超えてその戦略性の無さに絶望感を抱く物語だ。「若い頃は平気で捨ててきたものが、今となっては絶対に手に入らないものだったと気づく」というセリフなど、その絶望感の深さに、オヤジの僕でさえ胸が痛くなる。
ようするに、「逃げ恥」も「東京タラレバ娘」も、どちらも「結婚したければ戦略的に考えろ」とメッセージしているのだ。アラサー女子が「逃げ恥」に夢を見るのは勝手だが、これは単なるファンタジーではないと思う。「東京タラレバ娘」も単に現実をグサグサ突きつけてくるだけの話ではない。
婚活を戦略的に考えろというと、多くの女子は「当たり前じゃないか」と感じるかと思う。しかし、実際に戦略的に婚活を行っているかというと、ほとんどが何もしていない。多くの女子が何もしていないから「東京タラレバ娘」のような物語が成立するわけだが、僕も周囲を見ていても「30歳までに結婚して子どもを産む!」と宣言している女子は多いが、戦略的に活動している女子はほとんど皆無だ。
特に受験や就活を勝ち抜いてきたハイスペック女子の皆さんには思い出して欲しい。自分たちが受験や就活においてどのような活動を行ってきたか。そして、婚活において受験や就活と同程度の熱心さと努力を注いでいるかと。
たとえば、30代で年収一千万円。身長が175センチ以上のハイスペック男子がどの程度の割合いるか? 30代男性の平均年収は約560万円。一千万円プレイヤーはたったの1%しかいない。また、身長175センチ以上の日本人男性は約30%。つまり、年収一千万円で高身長のハイスペ男子はたったの0.3%しかいないことになる。この中で独身男性に限定するとさらに数は少なくなる。30代男性の未婚率は約50%なので、つまりハイスペック独身男性は結婚適齢期男性のたった0.15%程度しかいないことになる。これは偏差値的にいえば「80」レベルである。
受験偏差値で80といえば、進研模試でいえば東大、京大、国公立医学部レベルだ。一般にこのレベルを狙うには、小学校3年生の頃から差ピックスなどに通い、中高一貫の私立に入学し、同時に予備校にも通い、およそ10年間にわたって頑張って勉強して入れるレベル。
もちろん、何事にも例外があり、僕の友人にも高校時代は構成員三千人の日本最大の暴走族(当時)の参謀長を務めながら、東大にストレートで合格。しかも、学生時代はビジネスやサークル活動を熱心にやりながら、卒業時にはその学部の首席で卒業したヤツがいる。
しかし、そのような実例があるからといって、普通の人間にはマネができるようなものでは無い。普通は、頭のいい人間が戦略的に勉強してやっと入れるのが、偏差値80レベルの大学だ。
スポーツや芸術の世界も同様だ。オリンピックに出るとか、プロ野球の選手になるには、普通のこより身体能力が高い子どもが、普通の子どもの何倍も練習して、さらに優秀なコーチや環境に恵まれてやっと勝負できるわけだ。
このようなことが我が身のこととして分かっているハイスペック女子のみなさんも、こと婚活になると、なぜか「暴走族で週末毎にバイクを走らせていても、東大にストレートで入れる」みたいなことを平気で信じる。
最近、ネットでEテレの「ねほりんぱほりん「という番組が話題になってきているが、昨年、「東大卒の男と絶対に結婚する!」と決めて、実際に東大卒の男をゲットした女性が出演していた。
彼女はまさに戦略的で、高校生の頃から東大卒の男と結婚すると決めて、高校の頃からマナーの本など男子受けするための本を100冊以上読み、大学も東大卒男子受けするという視点で選んで進学。さらに凄いのは、学生時代は東大生と合コンなどせず、「東大卒」の男とばかり合コンしていたという。もちろんファッションも「東大卒の男子受けする服」。自分の好みなど度外視だ。そして、望み通り東大卒の男と結婚した。
http://www.nhk.or.jp/nehorin-blog/100/256164.html
「なにがなんでも東大卒!」という価値観をどう評価するかはひとそれぞれだが、共感できる人は少ないのだろう。しかし、その価値観がどうあれ、彼女は自分の価値観を満たすために高校、大学とずっと努力してきたことは事実である。
ここで、結婚したいと考えている独身女性のみなさんにワン・ポイント・アドバイス。ホントに結婚したいと考えているなら、その条件を「ひとつだけ」決めて、後はどうでもいいと考えることだ。前述の女性でいえば、彼女の条件は「東大卒」だけで、そこに徹底的にフォーカスしたことが勝因だと思う。これが、「東大卒で医者か商社マン。高身長でスマートなデートが演出できる人」みたいにいろいろ条件をつけていると、目標は達成できなかったと思う。
結婚したいけどいい男が見つからないと嘆く独身女子と話をしていると、どのような男性と結婚したいのか明確でない場合が多い。自分の価値観が明確でないから、ピンとくる男性と出会えないということもあるかと思う。自分のホントの価値観に出会った時、運命の人は現れるのだ。
受験も就活も、ターゲットに合わせて勉強したり準備をする。医学部に行きたければ理数系の学科も勉強しなければならないし、文系学部を狙うなら英語の得点を伸ばす必要がある。商社に就職したければ商社の業界研究をやるし、新聞社に就職したければ筆記試験の準備もやる、高い目標はターゲットに合わせた準備と勉強が必要であることを理解しているハイスペック女子だが、なぜか婚活に関しては漠然と「自分を磨けば白馬の王子様がやってくる」と信じている。しかし、目標が定まらなければ、そもそも自分をどう磨けば良いか、分からない。
もちろん僕は「結婚したければ自分を変えろ」と言いたいわけではない。特にハイスペック女子は、男子受けより「自分らしさ」を重要視する傾向がある。なので、結婚相手も「自分らしさ」を好きになってくれる男性がいいと考える。その考え方自体は否定しない。
しかし「自分らしさ」にもまた「市場」というものがある。たとえば、あなたが高身長でスタイルの良い美人だった場合、ターゲットは商社マンではなくIT社長だ。あるいは外資系の男かもしれない。たぶん、大手町あたりで合コンをやっても、運命の人には出会えないだろう。あるいは、身長155センチ前後の小柄でガーリーな感じで、美人というより可愛いタイプの女性なら、合コン場所は六本木ではなく大手町か霞ヶ関かもしれない。
自分らしさを重要視したいなら、そのような自分を好きになってくれる男性の生息地に行き、その中でひとつだけ絶対に譲れない条件に合う男を探す。それを戦略的にやる。それが、ハイスペック女子が結婚できる唯一の方法かもしれない。そうでなければ、適齢期を過ぎて「タラレバ女」になってしまう。
そうならないためにも、結婚願望のあるハイスペック女子の皆さんには、「東京タラレバ娘」を見続けて欲しい。モチベーションを下げないためにも。受験の時、口うるさい教師のおかげで苦手科目が克服できた。あるいは、就活の時に口うるさいキャリア・コンサルタントのおかげで希望の会社に入れたという経験はないだろうか? 婚活にも口うるさい誰かが必要なのだ。しかし、今どきは「口うるさい親戚のオバサン」みたいな人がいなくなってしまった。だから「東京タラレバ娘」のようなドラマ(漫画)が必要なのだと思う。