内巻き女子と外巻き女子
街をあるいていると、いろいろな服に身を包んだ女子たちの姿がある。
フレアのスカート、きれいなパンプス、シンプルなシャツ、かっこいいデニム。
そんな女子たちを見ていると、「女子」を一つにくくってしまうのは、なんだかもったいない気がした。
今回は、そんな「女子」というカテゴライズに疑問を呈してみようと思う。
街の女子たちは、「ざっくり」と2つに分類することができると思う。それぞれ髪型のイメージで、「内巻き女子」と「外巻き女子」としてみる。
- 「内巻き女子」は、髪を内巻きにしているイメージの女子だ。
ほかの共通点としては、
・3人以上の仲良しグループがある、
・流行に乗った服装をしている
・髪色は流行の色
・色が白い
・話題の中心が恋愛>キャリア
・一般職や事務職希望
等
雑誌のイメージとしては、「ひと昔前」のCanCamやMinaあたりのイメージだろうか。
- それに対して「外巻き女子」は、
・流行よりも自分が着たい服を着る
・1人か2人でいることが多い。
・髪色も自分のスタイル
・話題は自分の興味がある分野
(恋愛が必ずしも中心にはならない)
・キャリア志向
等。
雑誌のイメージとしては、JJやViViといったところだろうか。
ここまでで、皆様にもきっと頭の中にイメージがわいているのでないだろうか。
今回のテーマどちらが良くてどちらが悪いということではない。ただ、お互いがお互いを少し敵視していることは言えるのではないだろうか。
内巻きからすれば、バリキャリの外巻きは「女を捨てている」し、「損をしている」ようにも見えたりするかもしれない。
反対に、外巻きからすれば、内巻きは「自分がない」し、「つまらない」ように見えているかもしれない。
これまでは、普段から敵視することは、日常的になかっただろう。
というのも、内巻きも外巻きも自分の世界を生きており、その世界の中では、同類の女子しかいないのだから。
しかし最近、内巻き女子が外巻き女子の世界に入ってきたことが、外巻き女子の中で「違和感」として感じられ始めている。
浸食する内巻き女子。違和感を感じる外巻き女子。
これまでの日本社会では、女子はかわいく、家にいること、キャリアを追わないことがモテの秘訣だった。そのため、内巻き女子たちのニーズがとても高かった。
それに対して外巻き女子のような一人で生きていくタイプは社会的に女子として扱われてこなかった。
ただ、外巻き女子はキャリアを重要視しているので、その中でも戦ってきたのだ。
現在、日本経済の悪化に伴い、男性が女性を完全に養うことが困難になってきた。女性の社会進出も叫ばれるようになり、気づけば少し自立している女子がモテの基準になってきた。
(高学歴一般職狙いの内巻き女子が増えてきているが、これはまだまだ高収入である大企業男子を狙っている一部の層であると考えている)
これまで甘い服装が多かったCanCamやMinaでさえ「カッコイイ」服装が特集されるようになり、一見外巻きだが、中身は内巻き女子が街にあふれるようになった。
それだけなら外巻き女子は気にはしなかった。
ただ、キャリアという外巻き女子がこれまで築きあげてきたフィールドにまで、彼女たちは入り込んできている。これが、現在。社会的にキャリア女子たちが抱える喉の小骨の一つである。
女性を正社員で採用する必要のある企業は、「一見外巻き」女子を総合職で採用する。
見た目は外巻きだから、オフィスにもなじむ。
ただ、中身は内巻きのため、一生懸命仕事するよりもプライベートの充実を優先したり、いつの間にか結婚して早々に寿退社をすることもあったり。
これ自体に悪いことはないが、残された外巻き女子に、男性社員から浴びせられる視線は、
「お前も同じなんだろう。女だから」
これが、外巻き女子のプライドを傷つけてきた。
「女だから」とはなんて排除的な言葉なんだろう。
「男だから」には可能性のほうが多いが、「女だから」には制限のほうが多く聞こえる。
女性は一種類じゃない。今回私は2種類に分類してみたが、もっともっと細分化できるし、最終的には一人ひとり違う.
一人ひとりの女性が輝く社会にするためには、「女性とは」という一つの大きな思い込みをなくすことから始めなければいけないのではないだろうか。