~変わらない思い~
今まで生きてきた中で最高の喜びとはなんですか?と聞かれたら、私なら0,1秒の迷いもなく、娘を出産し育てることが出来たことだと、即答するだろう。これは、たとえ私がノーベル賞をもらおうが、最高額の宝くじに当たろうが、決して変わることのない思いだ。
それは、死んでもいい覚悟を決めてまさしく命をかけて産み、つまり、万が一何か起きた時には自分よりお腹の子の命を優先させてほしいことをそれなりに伝えて出産に挑み、責任の重さと大きな学びの中で、こんなにも誠心誠意を込めて人間を最初から育てた経験は、どう考えても、これ以上無いというほどの愛に満ち満ちた24年間(現在のところ)を私にもたらしてくれたからだ。
~あのときの苦しみ~
私のお腹から出てきたばかりのへその緒のついた娘を抱いたとき、「えらかったね!よく頑張ったね!」と気が付いたら声をかけていた。それはもう、お腹の底からそう思って口を突いて出た言葉だった。
出産は激烈に痛く苦しい。私の場合は、本来なら最後に起こるはずの破水から始まってしまったために、まるで漫画のように太くて激痛を伴う注射をおしりにされるなど、未経験のことが次から次に起こり続けた。
陣痛で今まで経験したことのないほど体力を消耗したところで、いよいよ分娩段階に突入するのだが、実際はここからが本番で一番体力を使うところだ。60兆の細胞を一つ残らず使い切るほどの満身の力を30秒間くらい込め続けることを、何度繰り返したことだろう。
あと1回力んでも出てこなかったら、もう無理かもしれない・・・と思っていた最中に、この子は狭い産道で、きっとそれ以上の苦しみに耐えながら、自分でどうすることもできない状況を受け入れながら、母を信じて頑張っていたに違いないのだ。娘を見た瞬間に、そんな思いが一瞬で溢れてきて、ねぎらう言葉をかけずにはいられなかった。
ちなみに、出産直後の母親は、誰でも自然と赤ん坊をねぎらう言葉をかけるものであることを、後に何かで読んで知った。出産とは、そういうものであるらしい。
娘を前にすると、どうしようもないくらいの愛情が溢れ湧き出てくる、という感覚を味わわせてもらえたことは、母性を超えた、人としての深い愛を知った喜びに違いないと思う。
~ともに成長する女子力~
実は、正直に言うが、私は子どもの頃に随分と女子にいじめられたので、本当は女子が大嫌いだった。しかし、娘を産んだことで、それは100%覆ったのだった。こんなにも、女子は愛らしく愛おしい。
また、娘が生まれてから、2度の離婚を経験するなどして、それはそれで苦しいこともたくさんあったのだけれど、娘がいてくれたおかげで、娘を笑顔にしたいと思う一心で、勇気を振り絞りながら様々なことを乗り越えることも出来た。
なにより嬉しいことは、娘が、私以上に女子を楽しんでいることだ。
勉強ばかりしていた娘は、大学入学後に、勉強もしつつ美にも目覚めはじめ、ミス・インターナショナルの日本代表となった。それは私たちがガールパワーに参加してから起こったことであり、まさに、ガールパワーとともに、女子力を向上させていった結果だった。
毎年、ガールパワーチャリティーパーティーに参加するにあたり、今年はどんなドレスを着るか!ということで我が家では大盛り上がりとなる。
普段は、二人の間には世界平和のためのディスカッションが一番多く、生活も派手ではないのだが、むしろそんなメリハリ女子力を楽しんでいる。
娘と女子の喜びを共有する幸せは、私の女子力の源になっているのかもしれない。