金子恵美議員の保育園送迎時の公用車利用問題とは
金子恵美議員が仕事途中の保育園送迎時に、公用車に子どもを同乗させたことが問題視され、「今後公用車に乗せない」「送迎は徒歩で」との意向を示されました。
私は、このことが問題視されること自体が、いまの日本社会が抱えている大きな問題を孕んでいる、と感じます。さまざまな視点から考察できる問題ですが、母娘・家族問題研究家としての視点から問題提起したいと思い、筆を執りました。
お母さんに多くを求めすぎる「お母さん幻想」
仕事と子育ての両立、少子化問題、ネットを中心に批判のための批判を繰り返す人たち――いまの日本のさまざまな問題、なかでも中核である「子育て」について、これほど厳しくナンセンスな批判が上がるとは愕然としています。
いまの日本では、「お母さん」に多くを求めすぎなのです。
仕事と子育てを両立していたら、「3歳までは家庭で育てるべき」「子どもがかわいそう」と、なんら医学的根拠のない、いわゆる「三歳児神話」が襲いかかる。
子育てに専念すれば、働いていない、税金を納めていないと揶揄され、「未来の日本を担う子どもを育てている」「税金を納める夫を支えている」という大切な仕事を担っている事実を軽視される。「家庭の仕事」の軽視。
少子化対策で、子どもを産むことを応援されたかと思えば、さらに働いて税金も納めよ。
そこにきて「働くお母さん」、しかも日本の政策のために奔走する「働くお母さん議員」に、ナンセンスな批判でさらなる負担をかける。
この背景には、私、麻生マリ子の問題提起する「お母さん幻想」が横たわっています。
「お母さん幻想」とは? その原因とは?
「お母さん幻想」とは、母親たるもの、自分のことは差し置いて、子どものため、夫のため、家族のため、お国のために、尽くし、自己犠牲を払って生きるべき、というものです。非常に歪んだ自己犠牲です。
背景には、明治・昭和にあった「女性の生きかた像」があります。この時代の母たちの多くは、とにかく耐えて、尽くし、自己犠牲を払って、まるで奉公のように生きざるをしか得ませんでした。
その幻想だけが、いまや平成もあとわずかで元号が変わろかという時代にまで幻影のように残っている。
いわゆる「ママ友」のあいだでは、子どもを預けて夫婦でデートに行く、友だちと会ってお喋りに興じるなど、自分の人生を楽しむママに嫉妬や陰口が叩かれる。どこか楽をしたり、自由に楽しんで生きて見えるママには厳しい目が向けられる。
それは、いまの子育て世代の、そのお母様がそのような生きかたをせざるを得ない時代に生きたことが原因です。
同じ子育て世代のお母さんからすら上がった批判。その背景とは
今回大変気がかりなのは、同じ子育て世代のお母さんたちからすら批判の声が上がった、ということです。
これは上記のママ友間の嫉妬と似た心理が働いているのですが、その背景にあるのは、いまの子育て世代のお母さん自身が「お母さん幻想」に囚われていること、そしてかねてより、池内ひろ美(Girl Power代表理事)とともに問題提起してきた「母の呪い」の特徴のひとつが如実に表れています。
あなたは、お母さんの苦労する姿を見て育ちませんでしたか?
「母親なのに」、自分の人生を楽しんだり、いきいきと生きることに、どこかモヤモヤ(罪悪感やうしろ暗さ)を抱えてはいませんか?
だから、子どもを預けて夫婦でデートに行く、友だちと会うなど、「母親なのに」自分の楽しみを味わっていたり、なにか子育てに楽をしていると感じる人に嫌悪感を感じていませんか?
なにより、ご自身の“苦労してあなたを育てた”お母様を差し置いて、自分が幸せになってはいけない、人生を楽しんではいけない、とブロックをかけているところがありませんか?
それは、あなたが「お母さん幻想」に囚われている証。また「母」を内在化させ、内なる母がざわめき出す、という「母の呪い」の特徴の表われでもあります。
そして、実は、私がご相談をお受けする、いまの子育て世代の葛藤や、母娘問題は、この「母の呪い」の内在化を背景とした「お母さん幻想」に原因がある、といっても過言ではないのです。
親が人生をいきいきと楽しみ生きる背中を子どもに見せること
いいのですよ。自分の人生を、お母さんだって楽しんだって。否、むしろお母さんだからこそ、自分の人生の楽しみを思いきり謳歌すべきなのです。本来は。
親が子どもにできることというのは、口うるさく言うことでも教えることでも、自己犠牲的に苦労して子どもを育てることでもなんでもなく、親が背中で見せることだけ。
親がいきいきと自分の人生を楽しく豊かに生きる。その背中を見て、子どもは「この世界って、素敵で安心できる、楽しいところだな」「早くお母さんみたいな素敵な大人になりたいな」と、成長に希望を抱けるのです。
お母さんが、「お母さん幻想」で自身の首を絞めていたり、歪んだ自己犠牲を払って苦労しながら生きるのでは、子どもは未来に希望を抱けません。成長に不安を感じるだけです。やがて、それは病理を生みかねません。
「お母さん幻想」から自由になり、自分の人生を謳歌する。いきいきと生きる。そんな背中こそを子どもに見せる――現代にマッチした子育て、女性の生きかたは、そんなふうではないでしょうか。
子育て中のお母さん。もっと自分の女子としての人生を楽しみませんか? そんな背中をお子さんに見せてあげませんか? そうすることで、子どもたちに未来への希望を与えませんか?
私、麻生マリ子からの提言です。