タイ王国のプミポン・アドゥンヤデート国王(ラマ9世)国王が、10月13日に崩御されました。内外の各メディアで広く報道されているように、タイ国民のみならず日本をはじめ世界の各国で尊敬された同国王のご逝去を悼む声が数多く上がっています。
また、政治・経済・投資や観光など数多くの分野で、日本とタイの関係は非常に深いものとなっています。さらに、タイは、女性管理職の比率が世界第4位の37%の高水準(日本は7%:国際会計事務所のグラントソントンによる2015年の調査結果(NNA ASIA 2016年3月8日付)とのデータにも代表されるように、女性の社会進出が非常に進んだ国としても知られており、ガールパワーの関係者や、本Insightの読者の多くが、同国の動向に関心を持っておられると推量しています。
そこで、今回は、プミポン国王のご崩御の報に接した一研究者の取りあえずの感慨として以下の点を述べたいと思います。
筆者(私)とタイとの関係は、1984年に、外務省で、同国に対する経済協力(ODA)の担当官になった時に始まり、以来、民間企業、シンクタンク(政治経済の分析)、同国(ソブリン=国債)や有力企業への格付けなど立場を変えながら継続しています。これまで100回を優に超える同国への訪問(訪泰)の度に、どのオフィス・店舗・レストラン・家庭にも国王のお写真が掲げられているのを目にしています。それは、同国王が、全国各地を訪問される中で、苦しみ困っている国民の声を聞き対策やプロジェクト等の支援など数多くの重要な活動をされ、大きな尊敬と親しみを受けられた名君であることを示しています。
しかし、同国王が、ご在位70年の中で、ご即位の当初から上記のようなポジションであられたわけではありません。米国でお生まれになった同国王は、1946年、スイス留学中に、兄君(ラマ8世)の突然のご崩御によって18歳の若さで急遽即位されました。その頃タイにおける国王の権威は必ずしも安定していませんでした。その中で、プミポン国王は、国民各層との対話や具体的な多くのアクションを通じて、信頼を深め尊敬される存在になられました。ちょうど、そのプロセスは、貧しい開発途上国であったタイが、日本をはじめ海外からの投資や企業進出を積極的に受け入れつつ活用し、自動車産業において「アジアのデトロイト」と呼ばれるような産業の重要な集積地・中心地としての地位を確立し、アセアン(東南アジア諸国連合)の有力国として、大きな経済発展を遂げ、プレゼンスを高めた時期と重なっています。つまり、国王は、タイの発展と共に歩まれ、その精神的支柱ともいうべき存在であったといえます。過去のクーデターの際に自らその収拾に乗り出されたことも良く知られた出来事です。また、1997年に発生し、タイだけでなくアジアの多くの諸国に大きなダメージを与えたアジア通貨・金融危機以降、折に触れ、過熱傾向にある経済や消費行動のあり方について、より持続的で柔軟性のある社会となるよう、無理をせず現状に満足する「足るを知る経済」(タイ語で「セタキット・ポーピアン」:Sufficiency Economy)の重要性を諭されていました。
同時に、同国王の在位期間に、日本とタイは各分野の各層で長く深い関係を築いており、企業の分野を例に挙げれば、タイの日系現地法人数は、アセアン最多の2,318社、日本人派遣者数5,306名、現地従業員数545,589名に上っています(東洋経済新報社「2016年版 海外進出企業総覧(国別編)」)。このような親しい関係の中で、わが国にとっても同国王の存在は大きなものとなっていると思います。
近年、タイが発展する過程において現れた同国内の経済格差や対立といった諸課題が問題となり、現在も、同国では、軍の影響下にある政府体制が続いています。今、非常に大きな存在であったプミポン国王が亡くなられ、タイの国民は大きな悲しみの中にあり、同国の今後を心配する人も多くいます。
しかし、私は、同国が、シンガポール・マレーシア・ミャンマーやベトナム・ラオス・カンボジア、インドネシアなど周辺の諸国が欧米諸国の植民地となる中で独立を保ち、幾多の政治危機、経済危機を乗り越えてきたという歴史を持ち、その都度強くなってきたことを重視し注目したいと思っています。今回の国王のご崩御という大きな悲しみの中で、タイの国民が団結し、より成熟した国へと成長させることが、プミポン国王のご希望とご遺志に叶うことであろうと考えます。
今、タイは「悲しみの国」となっていますが、その苦悩を乗り越え、より力強く、団結した「微笑みの国」となることを祈り、我々日本と日本人はそのために「まさかの友」として協力したいと思います。
(写真提供:バンコク在住の平井隆之氏