映画『美女と野獣』実写版、ステキです。
以前の作品では、ベルが野獣を好きになる理由が明確ではなくすっきりしないものがありましたが、本作では、なるほど! その手法できましたかと膝を打つ。
幼い頃のベルの切なすぎるプロセスが描かれていて、野獣を好きになった理由に得心できます。作品中では彼女の心理描写を子細に説明していませんが、心理学的にも彼女が抱える「母との関係」をも解決する素晴らしい演出です。
(以下あくまで私の個人的なつぶやきです)
『美女と野獣』においては、私は四半世紀以上も前から疑問を抱えていました。
ーーー2mを超えるかの巨体に大顔で毛むくじゃらなうえに傲慢な性質も持つ野獣を好きになったベルは、魔法が解けて、つるんと美しい王子様になった彼のことを本当に好きになれるのだろうか、ずっと疑問でした。
「野獣」時代も知的で繊細な面はあるけれど、それは見た目が野獣なのに繊細という「ギャップ萌え」ではなかったのかな、あるいは、毛むくじゃらでシェイクスピアを諳んじる教養などに惹かれたのではないかな、とか。
魔法が解けて、野趣溢れるナイーブな野獣が、ふつうに繊細な心を持った線の細い王子様なんかになっちゃったらがっかりしないのかな、とか、ま、さまざま心配していたわけです。もう30年も前から私は個人的に心配していました。よけいなお世話ですが。
しかも、王子様時代には美人ばかり集めて夜な夜な舞踏会を開いていたようなパリピな彼でいいんでしょうかと心配なわけです。野獣となった彼がベルと踊るとき「踊り方なんて忘れてしまったよ」と照れちゃう彼が好きだったのではないかしらと心配になるわけです。まったく、よけいなお世話ですが。
野獣はこのように過去さまざま描かれています。
それが、魔法が解けて王子になったら、こんな感じです。
今回の映画での野獣はこちら(↓)です。
読書好きのベルは野獣の持つ蔵書(図書館並の膨大な蔵書)にも惹かれていることがわかります。たぶん図書室の存在がなければ野獣の城から早々に出ていったのではないかと思わせるシーンもありました。
アニメーションでも野獣はこのように描かれており、ベルも生き生きしています。
魔法が解けて王子様になったら、なんとなくベルは不審な目で見ている気がしませんか。
そもそも「野獣」を好きになることのできる女性が、すっかり線の細くなった「王子様」を好きになれるものだろうかとーーー四半世紀を超える間ずっと疑問でした。
だって、そうでしょう?
ぼうぼうとヒゲが生えていたり胸毛やスネ毛のある背の高い男性を好む女性は、色白で線が細く背の低い男性を好みませんし、
逆に、たとえばジャニーズ系の美しい顔をした男性を好む女性にとっては、毛むくじゃらの大男など生理的に受けつけられないのではないかしら。
そう。
いずれも生理的に好きか嫌いか、受け入れることができるかできないか、女性ははっきりしています。
『美女と野獣』は、女性が男性を好きになるときの「生理」を無視しているのではないかと長年疑問に思っていました。
でも、この多分に余計なお世話的である心配に対しても本作は答えを出してくれています。
答えはふたつ。
ひとつには、彼が(どんなルックスをしていようと)「王子様」というポジションであるということ。
これは説明するまでもなく多くの女性が持つシンデレラ願望を叶えてくれるものですし、ベルのように田舎町に暮らす女性にとっては夢のような設定です。さらに、野獣として誤解されがちな彼を執事やメイドたちがベルに「ほんとうの彼は優しいのよ」と懸命のフォローをしています。それは「王子様」に仕えている人たちだからです。
もうひとつは(こちらが肝心ですが)、
物語のラストーーー魔法が解け、美しい顔の王子様となった男性とダンスを踊りながらベルが彼に言いました。
「あなた、ヒゲを伸ばしてみたら?」
ね。
ベルは、やっぱりそういう男が好きなのよね。
あなたは「王子様」が好きですか、「野獣」が好きですか。