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【熊本を忘れない】女性の力と子どもたちの強さで、熊本は復興する。

4月14日の震災から半年。熊本は復興に向けて力強く歩んでいる。

当サイトをプロデュースする女性支援NGO「ガールパワー」は、震災直後から女性に特化した支援を行ってきた。ガールパワーには代表理事の池内ひろ美をはじめ、2011年の震災時から東北支援に関わってきたメンバーも数多い。その時の経験から、このような大規模災害の時には、女性に必要な支援物資が不足することもわかっていた。そして、女性に特化した支援を行う団体が少ないこともわかっていた。

だから、ガールパワーでは、まずは女性に必要な支援物資を届けるところから活動を開始した。ブラトップ、ショーツ、ハンドクリーム、拭き取りシートはボディ用・フェイス用・デリケート・ゾーン用の各種。リップ・クリームなど。

長引く避難所での生活を少しでも快適にすることは、気持ちを支える重要なことだ。これらの支援物資は、女性にとって「日常」を過ごすためには必要なものばかりだが、男性には見えにくいニーズでもある。水や食料、紙おむつなどの「見えやすい」支援物資は避難所に山積みされるが、女性だから必要な物資は不足しがちだ。

そんな状況の中、ガールパワーが提供した支援物資は女性被災者の方々から喜ばれた。

夏場には日焼け止めクリームや化粧水も配布した。

そんな活動を行う中で、現地・熊本の女性団体や支援団体ともつながり、ともに活動を行う中で、復興に向けて考えることも多くなった。

震災から半年。ガールパワーとしても、熊本で半年間、活動を続けてきたことになる。その活動の中で、熊本の女性団体、支援団体との交流の中で見えてきた、熊本復興のキー・ポイントをお伝えしたい。

早すぎる撤退と、いまだ支援が必要な被災者たち。

東北の時と比べて、今回の熊本で感じた最大の違いは、支援組織の撤退の早さだ。

まず自衛隊が5月30日に撤退した。

震災からまだ一月半。避難所は避難者で溢れ、益城町の中心部はガレキの山。その益城町や西原村、立野地区などでは、まだ断水が続いている地区もあり、多くの自宅避難者、車中避難者には支援物資も十分に行き渡っていない。

そんな状況のなかでの自衛隊の撤退だった。

それは県知事からの要請であり、しかたのないことではあったが、あまりに早い撤退だと感じた。地元の人たちの多くもそう感じていたようだ。

実際。東北の時はどこでも自衛隊の活躍ぶりを賞賛したり感謝する声が聞こえたが、熊本ではそんな声など聞いたことがない。

もちろん、それは自衛隊の責任でもなければ、怠慢のせいでもない。どのような事情があったのか、考えがあったのかわからないが、熊本県ももっともっと自衛隊に活躍してもらうことは可能だったと思う。

img_3928多くのNGO、NPOも5月いっぱいで撤退した。残った支援団体の多くも8月で撤退していった。理由は資金が尽きたからだ。東北の時と比べて、今回はどこの団体も寄付が集まらなかった。支援活動もきれい事だけでは行えない。活動資金がなくなれば、撤退は余儀なくされる。

仮設住宅への移住が進み、多くの避難所が閉鎖されている現在でも、支援を必要としている人たちは多い。8月に訪れた立野地区では、その時点でもまだ水道が通ってなくて、給水所が設置されていた。

震災から半年が経った今でも、支援を必要としている人は数多い。

益城町を拠点に、献身的な支援活動を続ける団体「IKIMASU熊本」代表の入江まゆみさんは、FBで次のような投稿をしている。生の声のほうが伝えると思うので、少し長いが引用する。

前は聞けなかった、不安や悩み。
いまでは、絶望に変わりつつあるようです。
◇50代半ばにして、全てを失った。
子供はまだ小さい、生活を立て直す為に
お金を借りたとしても払えない。
1日1日、仕事をするのが億劫になる。
疲れて帰ってきても、家がないから
風呂にも入れない。
ゆっくり、寝たくても車中泊。
オッチャンはね、笑っとるばってん
もうそろそろ、笑えんくなるばい。
心が挫けそうだん。
ただ子供を思うから、生きてるだけ。
まゆみちゃん、ほんなこつきつかよ。
って、、、、
オッチャンはいつも、笑顔で遊びにきてくれます。
初めて話してくれた心境。
話を聞く事しか出来ず、言葉を失ってしまった
私に笑って『ここに来ると元気になる!大丈夫!』って。
オッチャンだけではありませんでした。
◇何もかんも無くなって、お金もない。
希望もない。夢もなかよ。
ただただ、1日を過ごしてるだけ。
これから先なんて考えれないくらい辛いとよ。
もう、身体もボロボロ。
病院通いよるけど、その病院代も
2月で打ち切り。
もう、死んでしまいたい。
でも、ココが唯一楽しみとよ。
今日の分だけでいい。私より困ってる人も
必ずおらすはず。
まゆみちゃん、次はいつ居る?
当時の明るいオバチャンは居ませんでした。
ここ2ヶ月通しで本部に居ることができませんでした。
その間に、こんなにも身体も痩せて
心まで壊れてしまいそうになりながら、、、、
それでも、懸命に生きようとしてくれている。
もう死にたい、は助けて欲しいという
メッセージ。
でも、話を聞いてただ、一緒に座ってる事しか出来ない自分。
それでも、次はいつ?って
また来ようとしてくれるオバチャン達。
いつも笑って、『倒れんでね!』って
心配してくれるオッチャン、オバチャン。
『おねーちゃーん!やっとあえたー!』って
駆け寄って来てくれる子供達。
小さな赤ちゃんを抱っこして
歩いて来てくれるママ達。
赤ちゃんを抱っこさせてくれて
『よかったねー!○○ちゃん!』
『子供ときてもいいって思うと、嬉しくてイライラせず済むんです!また、来てもいいですか?』
『やっとこれたー。落ち着いたらお手伝いに来てもいいですか?』
『これからどうなるんですかね?どうすればいいのかな?』
『県の熊本地震対策本部は何で解散シタの?もうなんにもおこらないのかな?不安しかない。』
『義援金の仕組みがわからない、何で説明会ないんだろう。誰がどの位、いつ貰えるの?聞いて貰えないだろうか?』
『家を改修して、生活する事に決めた。でも大工さんがいつ来てくれるかすら目処がたたない。だからといってみなし仮設や仮設にはいれば改修費用が貰えない。改修の終わるその間私達はどうしたらいいとかな?』
『歩いてここまで、これない人達がいるんだよ!?何で、、、こんなに苦しまなんと!?』
『お父さんと2人頑張ってきたけど、脳梗塞ならしてね。アンタが私に倒れんでよって言うてくれてたけど。お父さん倒れて入院しちゃった。お父さんの病院まで遠くてね。もう疲れたよ』
まだまだこんなものではありません。
毎日毎日、どこにぶつけていいか分からない
怒りや悲しみをココで吐き出してくれます。

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どれほど大きな災害でも、人は忘れる。東北のことも忘れた。熊本もまた忘れられようとしている。

人間とはそういうものだし、それはしょうがないとは思うが、まだまだ取り残された人々が多いということは理解しておいて欲しい。

同時に、この半年で復興に向けた希望の光も見えてきたことをお伝えしたい。

熊本は女性の力で復興する。

熊本に何度も行ってわかってきたこと。それは女性の力だ。

もともと、熊本の女性は強い。

「肥後の猛婦」という言葉もあるが、社会評論家の大宅壮一は著書「女の盲点と美点」のなかで、「熊本の猛婦たち」と題する1章を書いているが、その中で、下記のように述べている。

明治以後、婦人の自覚、独立、地位向上のために勇敢にたたかった婦人闘士の多くは熊本出身である。(中略) 久しく男性中心の日本社会に根をおろしている悪徳と悪習に挑戦するために、婦人大衆の決起をうながし、その陣頭指揮をおこなってきたところの女性将軍たち。いわば猛婦ともいうべき存在である。

いわば、明治以降の日本における女性の社会進出の源流、女性活躍推進の元祖は熊本の女性なのである。その中で、今回の震災で最大規模の被害を受けた地区のひとつ・益城町の矢嶋家からは「四賢婦人」と称される4人の女性リーダーも輩出されている。

大宅壮一「熊本の猛婦」について詳しくはこちら

四賢婦人に関して詳しくはこちら。

すなわち、熊本の女性たちは歴史的にリーダーシップを備えているのだが、今回の震災が現代の熊本の女性たちのDNAを覚醒させたようで、震災後に数多くの女性団体が立ち上がっている。

たとえば、熊本の数多くの女性支援・子ども支援団体をネットワークする「熊本子ども・女性支援ネット」

あるいは。シングル・マザーたちが団結して結成されたシングル・マザー支援団体「スーポーウーマン・プロジェクト(Sプロジェクト)

東北の時も、復興のために多くの女性起業家が生まれたが、その時以上に、熊本では女性たちが立ち上がり、ネットワークを構築し、復興に向けて月すんでいる。そのスピード感とパワー感はまさに「猛婦」の名に恥じないものだが、熊本の女性たち自身が「自分たちは猛婦である」ことを自覚し、プライドを感じて活動している。

もともと熊本県は、女性社長の比率(対人口比)では全国トップとも言われていたが、震災を機に、優れた女性起業家が熊本から生まれ、熊本復興の、そして日本の女性活躍推進のドライビング・フォースになると感じられる。

子どもたちの成長とともに、熊本は復興する。

 

_dsc6173熊本のもうひとつの大きな特徴は若者だ。18歳以下の若者の比率は全国一だと言われる。

ところが、18歳以上の年齢になると、若者比率はガクンと下がる。高校を卒業したら、福岡や関西、東京など県外の大学に進んだり、熊本の大学を卒業した者も県外に就職するからだ。

しかし、もともと若者の数が多いのであれば、その若者が復興の要因にもなる。

東北も同様に、若者は仙台や東京などの都会を向いていいたが、震災後は地元に目を向けるようになった。

熊本も同様だと思う。

10年後、20年後の熊本を切り開くのは、今の子どもたちだ。

今回のような大きな震災が起きると、数多くの団体が子どもの心のケアのために乗り込んでくる。もちろん、心のケアが必要な子どもたちも被災地にはいる。しかし、子どもたちは大人が考えているより、はるかに強い。子どもだからというだけの理由で、心のケアを必要とする「弱い存在」ではない。

今回の熊本震災に際して、ガールパワーは宮城県女川町の女子高生から一通のメールをもらった。「震災の時に、女子絵に必要なモノが足りなくて苦労した。だから、熊本の女性のために募金活動をしてガールパワーに寄付したい」という内容だった。

img_3439女川は、津波により街の中心部をほとんど全部、被害を受け、いまだに住民の4割が仮設住宅で暮らすという土地だ。そんな女川で暮らす女子高生が、熊本の女性たちのために行動したいと考える。そして、仲間の高校生たちを集め、女川駅前のモールで募金活動を実施。数時間の活動で5万円を超える寄付を集め、熊本の女性のためにガールパワーに託してくれた。

東日本大震災当時、小学生だったその子は、縁もゆかりもない他の地方の被災者に思いをはせ、行動することができるリーダーシップのある高校生に育ったのだ。

熊本の子どもたちも、女川の女子高生たちと同様、強いはずだ。むしろ、震災をバネに、より強く育ってくれると思う。子どもたちにはその力がある。そのことを、女川の女子高生たちは教えてくれた。

子どもたちの強さを信じる。それが、復興支援の要なのではないかとも思う。

ガールパワーも、熊本の「将来の猛婦立ち」をこれからも応援していきたいと思う。

ガールパワーの熊本女性支援活動にご寄付ください。

ガールパワーは、女性リーダーの輩出のために、これからも熊本の女性、少女を支援していきたいと考えています。

この活動を支えるために寄付のご協力をお願いします。

寄付はジャパンギビングから行えます。

また、ガールパワー熊本復興イメージガール・さくらちゃんの撮影オフショット写真集もこちらで公開中。

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  1. 熊本の奇跡・さくらちゃん撮影オフショット写真集

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